たいせつなもの 1

目を開けると見慣れない天井だった。首を持ち上げるとそこには真っ白なギプスが巻かれ棒のようになった私の両脚があった。架台に乗せられ、少し開いた状態でピクリとも動かない。指先も腫れて変色しているのが見えた。両腕は天井から吊るされて、まるでミイラにでもなったかのように、ベッドに横たわっているしかできない。
動けない…ギプスに両手両脚を固められて。
そう考えを巡らした途端、下半身が熱くなるのを感じた。

「実和…手足があちこち折れるなんて痛いだろ…」

いきなり横で声がした。ベッドの横で涼が心配そうな顔で私を見つめていた。

「そうだ。そろそろオムツ替えないと」

「いい!大丈夫!!自分でできるから!」

慌てふためいて、身体を起こそうとしたけれど、もちろん起き上がれるはずもなかった。

「実和…濡れてるの…?」

「ちがう…!!これは、その…」

「隠さなくてもいいよ。ほら、両手も折れて使えないんだから、俺が触ってあげる」









アラームの音が寝室に響いた。虚しさと一緒に現実を連れてきた電子音。イライラしながらその音を止めた。

最悪だ。こんな夢みるなんて…
よく考えてみれば、痛みが全くなかった。その時点で夢だって気づいてれば…
そもそも涼とはもう終わってる。私がフッたんだから間違いない。

…エッチの時に、必死に頭の中で怪我した自分やギプスのことを考えるのに疲れてしまったから。もちろん、患者役としてプレイしたいってやんわり伝えたこともあった。でも、コスプレって興ざめするから、と言ったっきり相手にしてくれなくなった。

私は脱いだパンツをカゴに放ると、熱いコーヒーを淹れた。
いつもより大分早く起きてしまったけれど、もう一度寝る気にはなれなかった。
続きなんてみちゃったら、きっとまたパンツを履き替えないといけなくなるから。


私は怪我フェチ、なんだと思う。お医者さんに診断されたわけでもないし、そんなフェチがあるのかもよく分からないけれど。
前までは自分に包帯を巻くだけで満足だった。でも最近は、本当は痛みフェチなんじゃないかと思い始めた。もちろん頭痛とか胃痛とか、そんなのじゃないけれど。


夢のことは考えないようにして、満員電車に乗った。夏も終わろうとしているというのにセミは鳴くことを止めようとはしない。遠くの空に入道雲が見えた。
イヤホンから流れる曲は、夏よ終わらないでと寂しそうに歌っている。

「おねえちゃんのおねがい、かなえてあげるよ」

耳元で囁かれたような気がしてハッと我に帰った。視線を落とすと小さな女の子がニコニコしながら私を見つめていた。胸くらいまであるサラサラの髪に、麦わら帽子を被って、その口元には小さなホクロがあった。慌ててイヤホンを外し、笑いかけてみる。

「どんなおねがいでもいいよ?」

周りに親らしき人はいない。今流行りの1人旅?こんな小さいのに、通勤ラッシュの電車で?状況がまったくのみ込めない。でも少女はしっかりと私の目を見つめ続ける。

「お願い、叶えてくれるんだ」

周りのサラリーマンに睨まれないように、小声で返す。

「うん、でもおねえちゃんのたいせつなもの、いっこもらわないといけないんだ…」

少女は満面の笑みから一転、表情を曇らせた。

「大切なもの?たとえば??」

「んーーー、そのゆびわがいい!」

少女は私の頭の上を指差しながら言った。つり革をつかんだ私の右手の小指にはリングが嵌っていた。涼が選んだ、誕生石のピンキーリング。

「こんなものでよかったら」

指輪を外し、少女の小さい手に乗せる。もちろんなんの思い入れもない。寧ろ、癖で着けていただけで、なくなってくれればスッキリする。捨てるのは、ちょっと忍びないと思っていたから。

「ありがとー!!」

その時ガタンと電車が揺れた。つり革から手を離していたけれど、隣のサラリーマンのおかげで転ばずに済んだ。
早速お願いをしよう、少女が座っていた座席に視線を落とすと、そこには小太りのサラリーマンが座っていた。

「お願い、してない…」

私はそう呟きながら、小指のリングの跡を見つめた。


出勤しても不思議な少女のことが頭から離れなかった。あのまま迷子になってたら…迷子ならまだしも、誘拐だって大いにあり得る。1人旅の目的は果たせたのか…あの指輪を、壊れそうなくらい細い指にはめてくれているのか。
答えの出ない考えもいつの間にか、いかにジリジリした日差しをいかに避けるかにすり替わって、この日のルートを回りきる頃には、すっかりと忘れてしまっていた。

エステサロンを回り、サロン用品の説明をする。サンプルとして化粧水やジェル、アロマオイルを大量に持ってヒールで歩き回る仕事は、正直楽ではない。楽しいかと訊かれたら、楽しいと言えない自分が少しさみしい。寿退社するまでの間、と思ってはいたがその予定もなくなってしまった。


今日はサロンのオーナーからの反応は悪く、大量のサンプルが紙袋の中には残っていた。心持ちを表すかのように、ずっしりと重い。帰社しようと思い、地下鉄の入り口に立った時だった。

「え、いやっ、ちょっと!」

サンプルたちがゴロゴロと地面に落ちた。紙袋の底が破けたんだ…
あーもう最悪…まさに踏んだり蹴ったりだ。

「きゃ!!!」

恥ずかしさのあまり、周りがよく見えていなかった。気づいた時には階段を転がり落ちていた。落ちていたボトルを踏み、そのままバランスを崩したらしい。

「ううっ…」

なんとか踊り場で止まることができた。

「大丈夫ですか!!!」

「え、ちょっと救急車呼んだ方が…」

そんな声に薄っすらと目を開けた。ズキンと左腕に激しい痛みが走った。左腕は手首と肘の間で不自然に折れ曲がっていた。

Silent White Moon

bantage,cast...and pain

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