sweet Filling 8



翌日の日曜日、えみりは洗面台でシャンプーをして、身体をお湯で濡らしたタオルで念入りに拭いた。右足の指に挟まった砂も、歯を食いしばって拭った。髪を整え終わるころにはヘトヘトになり、床に座り込んでしまっていたが、それでも冷凍していた食パンを焼いて、水道水で鎮痛剤を流し込んだ。
もちろん強い痛みはかわっていない。あえて言えば、慣れた、だろうか。

昨日、ハセガワからの連絡に返事をして、次こそは会ってお礼をさせてほしいと伝えた。
ハセガワは自分の発言の手前もあってか渋ったが、えみりは食い下がり、最終的にはハセガワが折れる形で、今日の午後にお茶をする約束を交わした。
足の具合によっては延期も考えること、えみりの負担が少ない場所を選ぶこと、支払いは割り勘にすること…ハセガワが出した条件に、納得はいかなかったが、ハセガワも頑として譲らなかった。


約束の時間の10分前、えみりがコンビニに着いた時には既にハセガワは灰皿の前でタバコをくわえていた。えみりに気付くとすぐに火を消し、軽く手を振った。

途端に鼓動が速くなる。

違う、きっと息があがっただけ。

えみりは深呼吸して、歩を進める。足首に心臓があるような感覚に支配される。

会うのは今日で最後にしよう。
嫌われてしまう前に。
離れられなくなってしまう前に。



「大丈夫?疲れたでしょ」

「少し、だけ」

「そんな時は甘いものかな」

ハセガワは嬉しそうに言いながら後部座席のドアを開ける。

「狭いですが、どうぞ」




2人は郊外のカフェを訪れた。車内で聞いた話によると、パイやタルトが人気のお店らしかった。

緑に囲まれたテラス席に案内される。ハセガワに言われ、躊躇いながらも店員が用意してくれたスツールにゆっくり足を載せる。腫れて変色してしまった指先が覗いている。どくん、と痛みが走り抜ける。すかさずハセガワがブランケットをふんわりと掛け、しんどくない?と訊いた。えみりが頷くと、ハセガワも少し頷きメニューブックをえみりに向けて開いた。

「あのね、ここのお店パイ生地ももちろん美味しいんだけどさ、中のフィリングがもう最高で。季節のフルーツとか、こだわりの素材を使っててさ。いつ来ても迷っちゃうけど、毎回感動しちゃうの」

ハセガワの話を、えみりはワクワクした気持ちで聞いていた。好きなものを語る人の声色は、耳に心地よい。ここの茶葉は、国産のものや、稀少なものまであって、と少年のような顔でメニューを眺めていたハセガワは、えみりの視線に気づいて顔をあげた。

「あ、えっと、好きなもの頼んでくださいね?」

恥ずかしそうに首をすくめながら、改めてメニューブックをえみりに差し出す。そんなハセガワを見て思わずふふっと声がもれる。

「…甘いもの、好きなんですね」

「うん、好き。え、意外?」

「だいぶ」

それってどう受け取ったらいい?とハセガワは笑った。

「だからタバコも甘いんですか?」

「え!もしかしてタバコ臭い?ごめん…気づかなくて…」

ハセガワは慌てて自身のシャツの匂いを確かめる。

「この匂いは嫌いじゃないです」

「よかったあ…。あ、ちなみにタバコは甘くはないです。ココアシガレットじゃないんだから」

ちゃんと大人の味だよ、とハセガワはニヤリと笑って見せた。


ここ数日の良くも悪くも刺激的な日々は、えみりの毎日を意味のあるものに変えていっていた。

漠然とした孤独感は、少しだけ、ほんの僅かにその色を失いつつある。



「失礼します。本日のタルトはシャインマスカットのタルトです」

店員がカトラリーの入ったカゴをテーブルに置く。えみりはマスカットのタルトとホットティーを、と伝えてハセガワを見た。数秒おいて、悩んだ挙句、同じものを、と呟くようにオーダーした。
えみりが吹き出してクスッと笑うと、ハセガワは恥ずかしそうに両手で顔を覆った。


心地いい風が頬を撫でる。少し柔らかくなった日差しが、周りの木々をきらきらと輝かせた。


あなたが好き、そんなことを伝えたら、あなたはどんな顔をするのだろう。



Silent White Moon

bantage,cast...and pain

0コメント

  • 1000 / 1000