たいせつなもの 4

しばらくしてリハビリ専門の病院に移った。仕事はなくなってしまったけれど、有給消化と退職金と保険金で医療費はまかなえた。
傷跡だらけの右脚は、最初に先生が言った通り障害が残って、脚全体に装具をつけて杖をつかなければ歩くこともできなかった。膝が真っ直ぐにならないどころか、膝下も歪に歪んでいる。運動障害と痺れが残って、車椅子を使う練習も繰り返した。

実家のある地方を出て、ずっと一人で暮らしたきたけれど、車椅子での生活を考えると賃貸の小さなアパートでは不具合が多すぎた。それでも田舎には帰りたくはなかったし、娘が障害を負った今でも見舞いにすら来ない親と一緒に暮らしたくはなかった。
それを考えると、多少無理をしてでも杖を使うことに慣れておかなければ、と思い必死にリハビリに耐えた。

痛みはほぼなくなっていたけれど、杖にすがらないと歩けない自分が気に入っていたし、下半身が熱くなれば、曲がらない膝を無理やり曲げた。


先生からそろそろ退院を、という話を聞いて、電話をするために屋上に上がった。今まではアパートの2階を選んで住んできたけれど、今回ばかりは1階の部屋を探してもらった。なるべく段差がないように、築浅の物件をお願いして。なるべく早く病院に来てもらうよう不動産屋さんにお願いをして電話を切った。

季節はすっかりすぎ、遥か遠くの山のてっぺんには雪が積もっているのが見えた。冷たい風にさらされると右脚が疼くように痛んだ。

「おねえちゃんおうちにかえれるの?」

温かいコーヒーでも飲もうと自販機に向かっていると、後ろからあの声がした。振り返ると、やっぱりあの少女が立っていた。冷たい風に頬を赤くそめて、クマの耳がついたニット帽をかぶってその上から耳あてをしていた。
自分の顔が引きつっていくのを感じて、思わず後ずさりした。
少女はニコニコしながら離れた分の距離を縮める。

「う、うん。もうお家に帰るよ」

「そっか!じゃあおいわいだね!さいごにいっこだけ、おねがいきいてあげる」

「ううん!もういいの!!…その、もう十分叶えてもらったから!」

次は命を失いかねないから。

「え?そうなの?」

「うん、いっぱい嬉しかったからもう大丈夫だよ!ありがとうね」

なんとか笑顔でそう言うと、少女は口を尖らせた。

「わかった…」

少女はそのまま非常階段の方へとぼとぼと歩いていった。私は腰が抜けてしまわないように、なんとか踏ん張ることしかできない。

「…でもね」

なんとか息を吐こうとしたときぴたっと足を止めた少女が、つぶやくように言った。

「わたし、おねえさんのほんとうのおねがい、しってるから!たのしみにしててっ!!」

「待って!!」

思わず叫んで踏み出したけれど、そこに地面の感触はなかった。


鉄が錆びたような、血のようなにおいを感じて目を開けた。階段の下に倒れていて、少女の言った通り「ほんとうのおねがい」が目の前で叶っていた。階段にもたれかかるようになっているせいで、自分の全身が見えた。
装具をつけている右脚は膝からばっきり折れ、左足は足首を伸ばしたまま不自然に腫れ上がっていた。右手はだらりと垂れ下がったままで、指もあらぬ方向を向いて腫れ上がっている。左手は、直視できなくてすぐに目をそらしてしまった。頭から温かいものが伝ってくる。動けないまま空を仰ぐと、今年初めての雪がゆっくりと舞っているのが見えた。

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